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奈良柳生カントリークラブの料金・FAQ・施設概要について。
ゴルフを通じての交歓・交流の場としてふさわしい厳格な運営を図っています。

クラブ概要料金FAQ施設概要

クラブ概要

奈良柳生カントリークラブ

〒630-1242 奈良市大柳生町4800
TEL: 0742-93-0789 FAX: 0742-93-0700

料 金

シーズンにより料金が異なりますので、当クラブまでお問い合わせください。

エントリーのご案内

1)スタート時間
午前7時28分より8分間隔で10時40分までと致します。

2)平日
会員の紹介で可。予約は1ヵ年前の同日、午前9時より受付。
予約取消しは3日前までにご連絡下さい。以後の取消しは1名につきキャンセル料2,000円頂きます。

3)土・日・祝日
土日祝は会員の紹介が必要で3組まで可。
予約は3ヶ月前の同日、午前9時より受付。
予約取消しは7日前までにご連絡下さい。以後の取消しは1名につきキャンセル料5,500円頂きます。

4)お申込みは、必ず会員ご本人が、お電話下さい。

5)日曜日と祝日が重なる場合は振替休日を祝日扱いとし、翌火曜日を休場日とする場合があります。

6)予約受付開始日が休場日の場合は翌日と致します。

7)予約受付電話 0120-562-789 もしくは 0742-93-0789

優待料金、季節割引料は毎月発行の「事務局便り」で告知

 

FAQ

01. コースレートについて

(バックティー) 7,150ヤード 73.9
(レギュラーティー) 6,743ヤード 72.0
(フロントティー) 6,318ヤード 70.0(女子75.0)
(レディースティー) 5,570ヤード 68.5(女子72.9)
(ゴールドティー) 5,870ヤード 67.8(女子72.0)

02. 会員以外のエントリーについて

当クラブは会員を通じてエントリーして下さい(月曜セルフ除く)。
土日祝は会員の同伴もしくは紹介でプレー可能です。

03. セルフプレーについて

当クラブのプレースタイルはキャディ付・セルフプレーの選択制ですが、日曜日などクラブ競技がある場合はキャディ付はクラブ競技優先となります。
詳細はこちらをご覧くださいませ。

04. ティーショットのOBについて

当クラブはティーショット(一部ショートホールは併用)のOBについては打ち直し、もしくは特設箇所からのプレーイング4適用も可能です。

05. 黒ティー(トーナメントティー)の使用について

黒(トーナメント)ティー使用については、会員であれば技量に関係なくプレーしていただけます。
当クラブには黒・青・白・赤・ゴールドのティーインググランドが5面あり、どのティーイングエリアも大きく、コースレートも取得しています。その日の体調に応じて選択してプレーして頂きます。(但し黒ティーは会員同伴に限ります)

06. 練習場について

250ヤード、10打席の打放し場のほかに、練習グリーン(600㎡~750㎡)が3面。本格的バンカー練習場もあります。

07. 会員募集について

会員募集はしておりません。入会につきましては現在の会員が会員権を譲渡する名義変更入会以外、入会の方法はありません。会員権業者から会員権を購入するか、現在の会員から直接譲り受けるしか方法はありません。
尚、名義変更料は44万円(消費税込)です。

08. 会員数について

令和3年5月末時点での登録された会員数は、989名です。毎年12月1日時点で、会員名簿を発行しています。

09. トーナメントについて

平成8年にオープンした、奈良県では最後発のゴルフクラブのため、ビッグトーナメントの開催は未実施ですが、平成17年に奈良県プロゴルフ会が主催している奈良県オープンゴルフ選手権大会の第6回大会を開催しました。同大会につきましては、第4回大会から今大会まで毎年予選競技を開催しております。
このほか、日本プロゴルフ協会のシニアツアー予選会を平成18年に実施しました。2009年から日本ゴルフツアー機構主催のクォリファイングトーナメント(QT)の2ndステージなどを毎年開催しています。
関西ゴルフ連盟の公式競技では関西学生ゴルフ選手権や関西アマチュアゴルフ選手権東近畿E地区予選、関西グランド、ミッドシニアゴルフ選手権予選などを開催しています。本格的なチャンピオンコースとして評価を頂いており、今後とも機会があればプロトーナメントや公式競技を積極的にお受けしていくつもりです。

10. 古墳などの遺跡について

2番ホールの右ドッグレッグした斜面上に、5世紀の古墳が出土し復元し保存しています。また、13番ホールのグリーンの真下には織田信長の時代に筒井順慶が藤尾城という山城を築きました。城跡は丁寧に保存処理をしています。13番グリーン右の城跡に石仏公園をつくり、辺りで出土した磨崖仏、石仏、地蔵尊などを集め移転保存しています。

11. 所属プロはいますか?ラウンドレッスンは受けられますか?

トーナメントプレーヤーの資格を有する村岸充雄と松田高明の2名がいます。
村岸プロは箕面ゴルフ倶楽部の前田利光プロの門下生で、一門の宮本康弘・井戸木鴻樹プロとは兄弟弟子になります。
松田プロは当クラブで研修生として研鑽を積み平成24年にプロテストに合格しました。
会員に対するラウンドレッスンは、クラブ競技のない日で、先約がなければいつでもOKです。ラウンドレッスン料は1組10,000円でプロのプレー代等は別途ご負担頂きます。

12. 現在、研修生を募集していますか?

現在、2名の研修生がプロを目指しています。
大学のゴルフ部出身者なら24歳位まで。全くの初心者であれば20歳までを有資格者として応募は可能です。
プロ・総支配人の面接で決定し、現在、若干名を募集しています。待遇・条件等は電話でお問合せ下さい。

13. コンペのドライビングコンテスト・ニアピンコンテストのお勧めホールは?

アウトのドラコンは8番ホール、インは18番ホール
ニアピンについては当コースのショートホールはいずれもティーグラウンドからピン、カップが見えますので一概には言えませんが、あえていうならばアウトは4番ホール、インは14番ホールでしょうか。

施設概要

コース概況

36万坪の土地に新森林法に準拠して18ホールズを建設します。従来、36万坪では27ホールのコースを造るのが常識とされてきました。このような余裕のなかで、当クラブは広々とし、フラットで且つ戦略性豊かなチャンピオンコースに仕上がりました。

コース設計

加藤福一氏の設計例
奈良柳生カントリークラブのコース設計は、総距離7,150ヤードのアウト・イン共に均整のとれたコースで、フェアウエー幅、コース間距離、歩経路間距離、高低差等、全ての点で完成度の高いチャンピオンコースへと進化し続けております。

名匠加藤福一
加藤福一氏の設計例六甲国際、 鈴鹿、 木津川、 センチュリー吉川、 センチュリー三木、 マスターズ、ライオンズ、ウォーターヒルズ、オーセント、瀬戸内、朝日ゴルフ・白浜コース、サンロイヤルなど数多く設計しています。奈良柳生カントリー倶楽部の設計については最高の真砂土の土質と地形に恵まれ、加藤福一氏がイメージした通りの美しく戦略性の高いコースに仕上がっています。同氏の設計コースの中でも、超一級のクオリティが確保できました。

当初はベント芝と高麗芝の2グリーンの計画でしたが、後に650/750 と、ほどよい大きさのベント芝1グリーンのコースに変更したので、グリーン回りの余地がたっぷりと確保でき、本来的なゴルフの楽しさ、興趣を味わっていただきます。

コースのフラット性を確保しながらも、自然林保存に努めた結果、新設コースとは思えぬほどコース間のセパレーションができ、10年を経て樹木もさらに成長し風格が備わってきました。また、グリーン、バンカー、フェアウエー、そしてラフ等のアンジュレーションも、周囲の景観に合わせて、古都・奈良の優雅さを漂わせています。

ハウス設計

東畑建築事務所
ハウス設計・監理は和風建築設計のエキスパートである東畑建築事務所が担当しています。
奈良のイメージやコースイメージとの整合性を十分に配慮し、気取らない、静かで落ち着きのある日本の心を取り入れたオーソドックスな佇まいを演出しています。

奈良柳生CC創業者遠山利三の断片史

代表理事 遠山隆重
日本史に興味を持つ孫がフランスから一時帰国し、箕面GC、奈良柳生CCの創業者遠山利三について尋ねてきました。創業者遠山利三は、昭和34年に箕面GC、平成08年に奈良柳生CCを開設し、平成29年9月に92歳の長寿を全うし逝去しました。箕面GCが65周年、奈良柳生CCが30周年を迎えたことを区切りに、クラブ史の一環として遠山利三の断片史を記させて頂きます。 遠山の始祖は美濃国恵那郡遠山荘、岩村城主遠山左衛門尉景朝で、岩村、明知、苗木の遠山三頭のなかでの明知城主遠山として、一時は武田信玄軍に城を奪われたものの、関ケ原合戦で功を成し、その後徳川家康に従い、明知城の廃城後も、6,700石の譜代旗本として12代に亘って幕府に奉公しました。分家の遠山景元は遠山金四郎「金さん」として知られています。偶々ですが、令和6年12月25日にNHKで次のニュース報道がありました。

NHKニュース12月25日 19時21分恵那・明知城 「関ヶ原」で城取り戻した後 御殿建築か (映像付き) 戦国時代から江戸時代にかけて東濃地方を治めた国衆の一つ、明知遠山家の居城だった恵那市の明知城は関ヶ原の合戦のあと、城を取り戻した明知遠山家が御殿を築いて居住していたとみられることが恵那市の調査でわかりました。恵那市にある山城の明知城は江戸時代の町奉行、遠山金四郎の祖先にあたる明知遠山家が作ったと伝わります。戦国時代に武田家に攻められて一度は落城するものの、関ヶ原の合戦のあと、東軍についた功績で再び明知遠山家のものとなったとされています。恵那市では国の史跡指定を目指して今年度から4年計画で城跡の本丸付近などの発掘調査を行っています。初年度の調査では17世紀初頭のものとみられる礎石が複数見つかり、恵那市では明知遠山家が城を取り戻したあと、山の上に御殿を作って住んでいたとみられるとしています。 このほか、織部焼や志野焼など約350点の遺物が見つかり居住スペースがふもとに移ったあとも山の上は祭しの場として活用していたとみられるということです。恵那市教育委員会文化課の塚本恵伍主査は「今回の調査で明知城がどのような変遷を経てきたかがはっきりわかった。さらに調査を進めて、国の史跡指定を目指したい」と話しています。恵那市では、1月11日に一般の人を対象にした現地説明会を開くことにしています。

景朝から数えて23代目の遠山景京が寛政元年に尾張国津島にて、名を孝次郎と改め帰農、米穀問屋を始め、以後、日本における繊維産業の勃興とともに、明治10年に遠山商店を創立、同社は昭和4年には毛糸輸入量日本全国一位の業績を誇りました。 二代孝三は名古屋青年商工会議所の創立、津島紡績、津島銀行などの創設に関与しました。二代目遠山孝三は7名の子宝に恵まれ、本家の繊維関係以外にも姻戚関係から、自動車販売、大理石製造販売、ガス器具製造販売、大型店舗賃貸、ゴルフ練習場/自動車教習所などを経営しており、最後7番目の子で三男が箕面ゴルフ倶楽部の創業者遠山利三でした。 遠山利三は昭和2年10月生まれ。東大経済学部を卒業し、遠山産業の大阪支店長として米国に出張し、食事に接待されたのがゴルフ場でした。ゴルフ倶楽部の地域社会での役割を肌で感じ、大戦中もクラブ競技が途絶えていなかったことに衝撃をうけ、自らもゴルフ場事業を目指すこととしました。 帰国して昭和33年に茨木CCに入会、昭和34年には上田治設計士の知己を得て、茨木CCの背後の五月山に注目して英国風ゴルフ場の建設を依頼。昭和35年に藤田組施工にて箕面GCを開設。大学同窓の堤清二氏の活躍に刺激を受け、糸川英夫ロケット博士の夢であるヴィーヴル哲学(スポーツと文化の融合)に傾倒し、事業多角化を図りました。 遠山利三は、箕面GC眼下の池田市伏尾に広大な丘陵があることに着目し、箕面GCの開設にも協力頂いた、遠山産業の主力取引先である東洋紡績伊東光太郎常務に働きかけ伏尾ゴルフ倶楽部の開発を手掛け藤田組と段取りし昭和36年当時で1億円の資金を投入しました。しかし名古屋の本家の異論もあり役員であった山地鴻が東洋紡績の支援継続の下に事業継承し昭和37年に開設しました。 また遠山利三は、東大の関西同窓会で、後輩の北山洋一が石原慎太郎のヨットコンテッサのクルーであったことから、石原氏から伊勢志摩に「関西と関東の中間にあるオンディーヌの棲むような素晴らしい入江」があるので、マリーナを建設して欲しいとの要望があり、これぞ糸川哲学であるスポーツと文化の融合事業だと共鳴し昭和47年にマリーナ事業に乗り出しました。 しかし、マリーナ事業は、海が国有財産であるうえ、海面/海中/海底にそれぞれの漁業権が絡む難しい権利関係が複層していることから、遠山利三は預託金の返還に困難が生じることもありうるゆえ、昭和47年にクラブ解散時返還という「永久債会員権」制度で会員を募集しました。課税庁も募集金額が数億円程度の少額ゆえ課税しないとの判断となり、我が国の永久債会員権の発祥とされることとなりました。 更に遠山利三は、日本にやがて食糧危機が訪れるとの認識から、日本に近くて時差もないオーストラリアに着目、昭和52年に仲間を募って広大な養牛牧場を4ヶ所取得、リゾートを楽しみながら我が国の食料問題への貢献を成せるのではとの夢の実現を目指しました。 昭和54年11月、長女遠山彩子が三井物産イタリア社員であった吉田隆重と結婚。石原慎太郎と吉田隆重が共に一橋大法学部の同窓であったこともあり、石原慎太郎・典子夫妻が媒酌人となり、その後にあってもテニス場、奈良柳生CCの開設などにも側面支援がありました。 昭和60年に箕面GCが30年を迎え、「企業の寿命30年説」が多くの経済誌などで論説されるなかで遠山利三は奈良県にて第二ゴルフ場を計画しました。昭和42年に奈良万葉CCを完成にまで漕ぎつけましたが、工事業者の浅沼組との間で個人保証を求められるなどの事情から撤退をした経緯もあり、遠山利三にとっては捲土重来でした。 奈良県は、文化学術研究都市ゆえ大規模開発の許可取得が厳格で、千三百年の歴史を紡ぐ地域体質もあり地上げが難渋するなか、その途上の平成元年にバブル経済が襲い、平成4年に着工に至りましたがその後も幾度も荒波に遭遇し、ようやく平成8年にオープンすることが出来ました。 津島銀行以来の東海銀行との長きに亘る取引があったことから温かいご理解を頂き、平成13年11月には箕面GC、奈良柳生CCのゴルフ場事業のみの再生に集中するとの条件で民事再生法の適用申請を行うことが許されて開始決定を受けることができ、爾来24年が無事に経過しました。 奈良柳生CCの会員権については、平成10年10月にバーゼル銀行監督委員会が永久劣後債の発行を容認したとの情報を得て平成12年に分割会員権を永久債とし、預託金を負債勘定から資本準備金勘定として、減価償却費に対応する純資産減少への対応ができました。 遠山利三が昭和30年に米国で学んだ「会員活性率、会員置換率を維持することがクラブ活動の本質。ゴルファーが入会を欲するクラブ環境の整備がゴルフ場経営。」との経営理念に基づき、これからも来場者数18ホール当り32,000人にて余裕のあるクラブ運営体制を守り、健全なクラブ史を紡げるよう努力いたします。                           

奈良柳生CCの創業33年、再生25年を振り返って

代表理事 遠山隆重
弊私、7月26日に傘寿の誕生日を迎えました。平成4年に奈良柳生CCの代表取締役社長に就任してあっとい
う間に33年が経過しました。第36期決算は株主会員にお送りした事業報告書通りですが、会員の皆様のご理解
を得てお陰様にて、25年間の再建過程としては応分の決算を取り組むことが出来ました。心から厚く御礼を申し
上げます。
想えば奈良柳生CCの開発の動機は、箕面GCが「企業の寿命30年」説が取沙汰された時代に30周年を迎え
たことにあります。当時、昭和60年にはゴルフ場数が1,380コースであった中、需給バランスが良好であった
ことから、21世紀には2,000コース時代になるのは確実との業界全体の判断もあり、弊社も企業再活性化を意
図してゴルフ場の新設を企てたのです。奈良を適地としたのは関西学研都市開発計画で東部関西が大きく発展する
と予想したからでした。 昭和60年に地上げを開始しましたが、不運にも地上げの半ばにバブル激動に襲われまし
た。 地価が高騰して地上げが壁にあたり11年に亘る苦難につぐ苦難があり、平成8年にようやく竣成しました。
有難くも東海銀行に親身のサポートを頂いてオープンに漕ぎつけ、式典で隣接ライバルコースであった奈良スポ
ーツ振興CCの木下俊雄社長から「私も奈良のゴルフ場完成に14年掛ったが、遠山さんが10年でやり遂げたの
は瞠目の至り」と開発のプロからお褒めを頂いた思い出もあります。
しかし、バブルの崩壊で会員募集が372口で停滞し、箕面GCが保有していた奈良柳生CCの会員証券278
枚を東海銀行に譲渡担保してオープンに要する融資を賜り、開設に必要な清算を行ったうえで民事再生法の適用を
申請することが許されました。
東海銀行に譲渡担保した会員権は永久債とさせて頂きました。その後東海銀行が三和銀行と合併、三菱銀行と合
併となりその際にドイツ証券に譲渡された会員権を買い戻して販売し、これまでに1,217名(内永久債会員61
0名)の会員を擁する会員制ゴルフ場として立ち直ることが出来ました。
会員権を永久債とできたのは、平成10年にバーゼル銀行監督委員会が、金融機関が永久劣後債を自己資本へ算
入することを承認し、同年に我が国も三井生命の救済に250億円の永久劣後債を発行した際、大蔵省の長野庬士
証券局長が「永久債は非課税である」と認めた事実があったからでした。
実は永久債はこれまで全額課税対象とされていましたが、箕面GCは昭和47年にマリーナ事業で永久債会員権
を発行していました。しかしそれは、①国有海面での事業で固定資産性が薄い。②少額である。③石原慎太郎が発
起人である。として例外的に非課税として認められていただけでした。

偶然にも、私の卒論テーマが有価証券法、証券取引法、米国SEC法がらみで、当時急拡大したコングロマリッ
ド企業の研究だったのが幸いしました。当時ではM&A研究は斬新でしたが、そんなことから、ゴルフ場の預託金
会員制度の法的な立付けには当初から大きな違和感を抱いていました。
学生時代、ゼミの教授が「東大は法を制定し民を制す。わが校は法の行間を読み民を利するべし」と教えられ心
に刺さっていました。「ノン・コンフォーミスト精神」、ゴルフ場の再生にあたっても預託金カット再生の通説に
反し、額面ノーカット永久債化による会員制堅持の再建策を実行しました。
コース設計者に創業者遠山利三の旧友であった加藤福一氏を得たことも幸いでした。「遠山さんが箕面GCで実
現できなかったことを奈良柳生CCで私が叶える」と意欲的でした。また「これからのゴルフ場はプロ競技に適応
するだけでなく、86歳でも楽しくゴルフができる設計が必要だ」と特別に気を遣ってくれ、「この山での設計は
簡単だった、願ったとおりの楕円形の敷地を地上げをしてくれたし、土質も砂山を撫でるみたいな真砂土だったの
で工事も順調に進んだ。13番城跡と18番の公道境界以外ではさほど制約を感じず殆ど思い通りに完成した」と
自身の晩年自慢作としていました。
コースコンセプトも教科書通りとし、ワングリーンでバック7,200yrds、IP260yrds、ティーは400yrds
刻みの5面とし概ねコース全体が見渡せ、インとアウトでフェード系、ドロー系ゴルファーともに公平感を感じる
よう池の形状にも工夫を凝らしたチャンピオンコースだと説明していました。
また設計者は将来を見越して「極端」を排したことがその後競技開催者からも好評を得て、33年の歴史のなか
で、光栄にもJGTOのQTなどプロ競技21回、学生競技25回など70余回の公式競技を開催頂き、内外の多
くの関係者に評価頂けるようになりました。
日本のゴルフ場数は、奈良柳生CCの事業開始時点では1,380コースであったものがバブル期を挟んで2,4
60コースにまで増加しました。結局、供給過多となり破綻も相次ぎ、現在では2,187コースに減少しています。
いずれは更なる少子高齢化の波が及んで1,750コース程度にゴルフ場数が減少するとの予測もあります。倒産し
た321ゴルフ場を糾合したPGM社など、 巨大ゴルフ場企業がゴルフ場運営の形態を会員制からパブリック制に
転嫁している現在、会員制ゴルフ場は年を追って減少していくとも予想されています。しかし、奈良柳生CCは今
後とも古典的な会員制ゴルフクラブとして堅持して参りたいと考えております。 末永く会員の皆様のご支援ご鞭撻
をお願い申し上げます。